2011年3月12日土曜日

家路

「どぉん~なぁに~遠くてぇ~もぉぉ。辿りぃぃ着いてぇぇみせるぅぅ・・。」
って浜田省吾の”家路”って歌があるんだけど、今日はそんな気分なのだ。

いやいや、宮城県沖の地震で大変なことになってます。恐らく、おいらの人生でも最大級の地震だった。

14時くらいから、仕事の打ち合わせで7Fのオフィスにいたのだが、かなり長い揺れを感じちょっとマズイぞと身の危険を感じる。
その後、ビルの免震構造で右に左にユラユラと船酔いになりそうな揺れ・・・。
すぐさまネットで被害状況を確認したところ、鉄道全線が運転見合わせ。暫く余震があり、このまま会社にいても何も出来ないし、明るいうちに帰宅しようということで16:30に市ヶ谷の会社を出発。

と思いきやエレベータが停止しているので、階段で1階まで降りることに・・・・。
非常階段の途中でビルの壁面に亀裂が入っているのを目撃。今回の地震の大きさを生で実感。


同僚のmomotoshiさんとは家の方面が同じなので、話をしながら一緒に帰りましょうということで、道中を伴にした。

靖国通りを自衛隊駐屯地方面に向かう。道路は渋滞。歩道は徒歩での帰宅を決意した人たちで渋滞である。各駅の入り口は閉鎖され人だかりができている。

約1時間程度で新宿エリアに入る。相変わらず人ごみ。歌舞伎町の「さくら通り」周辺は帰宅をするのか、諦めて遊んで電車が動き出すのを待つ気なのかは知らないが、これまたものすごい人だかり。

青梅街道に入るが、これまた渋滞。ヒールを履いたお姉さんや和装で草履で歩いているおば様など様々な人たちが同じ方向に向かってひたすら歩いている。
だんだんと日が暮れて、冷たいビル風が吹いてくると顔が冷たくなってくる。


環七辺りから渋滞も若干緩和されているようだ。高円寺、阿佐ヶ谷周辺の住んでいるひとが多いのか、歩行者も若干減ってきている。

なんやかんやで荻窪に到着。JR荻窪駅の側を通ると車内照明が消えた総武線の列車が停車している。JRはまだ復旧していないようだ。

荻窪で体力を回復するために飯をとりつつ、2時間程度休憩を入れて出発。
青梅街道にもどるが、一向に渋滞は解消していないし、タクシーも捕まえられない状態だ。
ここまできたら、最後まで歩ききってやると心に決め、1時間後に自宅に到着した。

帰宅してみると、ガスが止まっているはずので回復処理をしてから部屋に入った。部屋を見るのがちょっと怖かった。あれだけ激しい揺れだったから、かなりの被害があるのではないか?
もし、壁とかにヒビが入ってたらどうしよう・・・。とか。

恐る恐る、部屋のドアを開けてみると居間の照明が一つ落下して壊れてガラスが散乱していただけだった。ちょっとホッとした。

純粋に徒歩で市ヶ谷から我が家まで、だいたい4時間程度だった。
ちなみに”距離計算”のサイトでチェックしたら、
直線距離にすると21km
徒歩で移動すると257分
とのこと。

今回の地震でわかったことは、携帯電話での通話よりTwitterなどでの情報交換の方がスムーズだった。携帯電話は基地局の容量がパンクしないように通話制限されており、都内でも圏外になってしまう。そのため連絡を取りたい人たちは公衆電話に長蛇の列をつくっていた。一方、iPhoneの3G通信でtwitterやメールをやり取りしている方が接続性もよく、かなりリアルタイムで情報の交換ができた。
先のエジプトの革命もそうだが、今やネットが情報発進のクラウドとなっていることを実感した。
でも、もうこんなのはゴメンだ。 疲れたぁぁぁ。

1 件のコメント:

  1. 昨晩は貴重な体験でしたね。我が家はガスが止まっていたことと積んであった本が散乱していたぐらいで、ドアと窓も開きました。

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